BOOOK紹介 日本人はなぜ無宗教なのか



日本人はなぜ無宗教なのか
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お墓参りも無宗教?
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「宗教は怖いもの?」・・悲しいかな、現代社会において、このような考え方は少なくない。
しかし日本人には、お盆の帰省やお彼岸に墓参りを行うという、宗教的行為としか表現しようのない習慣が根付いる。筆者はこのことが、まさに日本人が「自然宗教」の「信者」であることを意味し、さらに日本の宗教には、「自然宗教」と「創唱宗教」という枠組があると規定する。
「自然宗教」とは、日本の歴史の中で形成されてきた、神仏や先祖を敬うという心そのものであり、それは日本人にとって「宗教」だという自覚がほとんどない。
これに対し「創唱宗教」とは、しっかりとした歴史過程と教義に基づく開祖を持つ、いわゆる様々な宗派であり、それは時には人々に警戒心、無関心を抱かせる場合もある。
この書では、人々が「創唱宗教」を敬遠し、「無宗教」というスタンスが文化的な営みであるかのように信じてやまない世の中の風潮を、古代からの宗教観を辿りながら、江戸時代における「浮世」思想、また明治という日本近代化の歴史過程の中に問うている。
また、このような状況の中でも、「豊かな宗教観」を生み出す流れが現代にも息づいているとしており、無宗教を標榜している日本人が持っている「宗教観」を掘り起こし、再構築できる可能性を示唆している。
『日本人はなぜ無宗教なのか』
【著者】阿満 利麿【発行】ちくま新書【定価】680円(税別)
BOOOK紹介 隠れ念仏と隠し念仏



隠れ念仏と隠し念仏
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なぜ、隠れ、隠す必要があったのか
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九州南部の鹿児島、熊本、宮崎に伝わる「隠れ念仏」。岩手を中心とした東北各地に伝わる「隠し念仏」。
一方は、本願寺とつながりを命がけで保ち、弾圧を生き抜いて行かれた。 一方は、菩提寺からも隠れ、一切の秘密を命がけで守り、今なお篤い信仰を秘め続ける。
かたちは異なるが、両方とも信仰を「隠す」ことにより念仏の教えを伝えてきた。 「隠す」ためには、文字などの証拠を残してはならない。わが身に教えを刻み込み、親から子へ、孫へ伝える。 まさに身をもって、いのちをかけて、信仰を受け継がれた人々がいました。
なぜ信仰は伝わってきたのか、なぜこころは伝わらなくなったのか、考えさせられる一冊です。
『隠れ念仏と隠し念仏-日本人のこころ九州・東北-』五木寛之 こころの新書5
【著者】五木寛之著【発行】講談社【定価】880円(税込)