六の宮の姫君 |
「浄土」はどこに |
記憶、意識の不確かさ |
時は鎌倉時代。社会の混乱がまだまださめやらぬ頃。 信仰上の疑問を解決するため、自らの生命の危険を省みることなく、関東から京都へ旅立たれた人々がいました。 それは、関東各地で親鸞に直接教えを受けた門弟たちでありました。 鎌倉を経て京都へ至る道中。『歎異抄』には詳しく書かれていませんが、どれほどの苦労があったことでしょう。 そして現在、関東地方にはその名もズバリ、「鎌倉街道」とよばれる道が残っています。 その「鎌倉街道」の原風景の写真が紹介されているのが、このホームページです。 山や野を切り開いたままの道を見ていると、真実の教えを求めた門弟たちの、息づかいが伝わってくるようです。 そのほか、鎌倉時代の武士や、庶民の様子も詳しく紹介されています。
大量印刷の技術がない頃、書籍を手にいれるには、原本をもらうか、「写本」という方法しかありませんでした。 それゆえ「写本」を許されるということは、単に「本を写す」ということを許される、ということではありません。 記されていることをより深く「味わい」、その「味わい」を世間に説き弘めることを許されるということです。 このページでは、現在、真宗大谷派が所蔵している、『歎異抄』の「写本」のうち、室町期のもの二冊と 江戸初期のもの一冊が、全ページ、画像で紹介されています。行間からは、筆写者の真実の教えに出遇えた「よろこび」が伝わってくるようです。 そのほか、『歎異抄』全文の朗読を聞いたり、江戸期の印刷本を見ることもできます。ページ 4 の 6
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